史跡名所案内-八幡寺跡 【愛宕町12】

史跡名所案内 八幡寺跡
史跡名所案内 八幡寺跡

■■案内板■■ ≪坂本稲荷神社 由緒≫

【所在地: 愛宕町12】

 八幡寺は南部氏が和賀・稗貫・志和の三都を領地として安堵された時、花巻城の祈願所として新たに創建された寺院です。
 伊達藩との境を守る城として花巻城が整備され、城下町が作られていきました。盛岡藩二代目藩主南部利直、花巻郡代北尾張守信愛松斎の頃です。
 八幡寺の役割は専ら花巻城の永続・繁栄と戦勝、及び領内の安定を祈願することでした。寺領は五〇石、和賀・稗貫二郡の真言宗の惣禄寺院として末寺は十ヵ寺ありました。庫裏は七間に十四間、境内は、四ニ〇坪もあり、空堀、櫓門、塀には矢挟(やざま)といった城の構えさながらのものでした。このような構えは南部領内では大迫の妙泉寺と八幡寺だけです。
 そのために鎮守の神として祀られたのが愛宕大権現です。今は花巻神社と改称しています。
 八幡寺は明治初年の神仏分離に際して廃寺となり、その面影を知ることが出来ませんが、その宝物の一部は市内の寺院に伝えられています。

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-------------------- ≪掲載されている史跡名所≫ --------------------

[1] 鳥海神社『神社は明治初年の創立といわれています。御神体は・・・』

[2] 本館遺跡標柱『縄文晩期中頃の遺跡で、縄文土器や石器などが見つかって・・・』

[3] 坂本稲荷神社『昔、花巻の坂の下町(現坂本町)の高台に四日町広隆寺の末寺である・・・』

[4] 八幡寺跡『八幡寺は南部氏が和賀・稗貫・志和の三都を領地として安堵された時・・・』

[5] 八幡宮碑『小舟渡八幡宮のおこりは、康平 年間(一〇五八~一〇六五)に 源頼義が・・・』

[6] 浅沢稲荷神社『当社は、大正十四年十一月十九日に高橋喜六氏(四日町)の氏神として・・・』

[7] わが町昔と今『昭和13年頃この地域は、馬検場という建物があり、牛・馬のセリ等が・・・』

[8] 北上川河道の跡『江戸時代の中期以後、ここは北上川の河道であった。即ち川は・・・』

[9] 花巻城下町発祥の地『花巻の町づくりは、「内史略前五」(『岩手史叢第一巻』)に・・・』

[10] 奥州街道跡『江戸時代、ここを東海道等五街道の一つ、奥州街道(奥州道中)が通って・・・』

[11] イギリス海岸

[12] 北上川顕彰碑

[13] 銀河鉄道壁画