史跡名所案内-北上川河道の跡 【上小舟渡後ろ川沿い】

史跡名所案内
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■■案内板■■ ≪北上川 河道(かどう)の跡≫

【所在地: 上小舟渡後ろ川沿い】

江戸時代の中期以後、ここは北上川の河道であった。即ち川は、四日町、一日市の東裏を南流し、花巻城の北崖下を東流するのであるが、花巻の北上川は河道の変遷の旅でもあった。

 中期以前の北上川は、本館(もとだて)下から現在の桜台小学校の下、花巻神社の下を通り愛宕町雄山寺(ゆうざんじ)の近く、そして坂本町瑞興寺(ずいこうじ)下を経て十八ケ崎(とやがさき)(後に花巻城)城下を東流した。
 江戸時代中期となると北上川の流れが東方(この地)に移り、瀬川と合流し、冒頭で記述した流れとなった。

 北上川は、洪水時において、城の崖下を切り崩すのみならず、本丸にまで被害を及ぼさんとした。更には、開町された四日町、一日市等の市井(しせい)は、洪水による被害が甚だしかった。
 花巻城の城代は、花巻の城下を洪水から守るため、北上川の河道を現在地に切り替える工事を計画した。正保(しょうほ)二年(一六四五)に着手するが、難工事につき失敗を繰り返しながら約四十年後の貞享 (じょうきょう)三年(一六八六)ようやく完成した。

 なお、中新川(なかしんかわ)は河道を切り替える工事の際に開削した川である。又、イギリス海岸は、現在の河道開削の際に図らずも出現したものである。

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-------------------- ≪掲載されている史跡名所≫ --------------------

[1] 鳥海神社『神社は明治初年の創立といわれています。御神体は・・・』

[2] 本館遺跡標柱『縄文晩期中頃の遺跡で、縄文土器や石器などが見つかって・・・』

[3] 坂本稲荷神社『昔、花巻の坂の下町(現坂本町)の高台に四日町広隆寺の末寺である・・・』

[4] 八幡寺跡『八幡寺は南部氏が和賀・稗貫・志和の三都を領地として安堵された時・・・』

[5] 八幡宮碑『小舟渡八幡宮のおこりは、康平 年間(一〇五八~一〇六五)に 源頼義が・・・』

[6] 浅沢稲荷神社『当社は、大正十四年十一月十九日に高橋喜六氏(四日町)の氏神として・・・』

[7] わが町昔と今『昭和13年頃この地域は、馬検場という建物があり、牛・馬のセリ等が・・・』

[8] 北上川河道の跡『江戸時代の中期以後、ここは北上川の河道であった。即ち川は・・・』

[9] 花巻城下町発祥の地『花巻の町づくりは、「内史略前五」(『岩手史叢第一巻』)に・・・』

[10] 奥州街道跡『江戸時代、ここを東海道等五街道の一つ、奥州街道(奥州道中)が通って・・・』

[11] イギリス海岸

[12] 北上川顕彰碑

[13] 銀河鉄道壁画