【所在地:上小舟渡後ろ川沿い】
江戸時代の中期以後、ここは北上川の河道であった。即ち川は、四日町、一日市の東裏を南流し、花巻城の北崖下を東流するのであるが、花巻の北上川は河道の変遷の旅でもあった。
中期以前の北上川は、本館下から現在の桜台小学校の下、花巻神社の下を通り愛宕町雄山寺の近く、そして坂本町瑞興寺下を経て十八ケ崎(後に花巻城)城下を東流した。
江戸時代中期となると北上川の流れが東方(この地)に移り、瀬川と合流し、冒頭で記述した流れとなった。
北上川は、洪水時において、城の崖下を切り崩すのみならず、本丸にまで被害を及ぼさんとした。更には、開町された四日町、一日市等の市井は、洪水による被害が甚だしかった。
花巻城の城代は、花巻の城下を洪水から守るため、北上川の河道を現在地に切り替える工事を計画した。正保二年(一六四五)に着手するが、難工事につき失敗を繰り返しながら約四十年後の貞享
三年(一六八六)ようやく完成した。
なお、中新川は河道を切り替える工事の際に開削した川である。又、イギリス海岸は、現在の河道開削の際に図らずも出現したものである。
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