【所在地:四日町一丁目9-129】
花巻の町づくりは、「内史略前五」(『岩手史叢第一巻』)に「稗貫郡旧記」として、次のようなくだりがあります。
一 四日町 花巻城下市中の最初にして北秀愛
這に移るの後、初て此町を披と云、村老云往古は此町を呼んで四ツ家といへり、こは昔年未た市を披かざる以前は田家僅かに四五軒有し、故にしか名付と云々
一 河口町 花巻第一の花街也、慶長年間北松斎初て此市を
披くと云
右の記事によると、言伝えながら、花巻城下が開かれる以前は四日町に僅かに田家(農家)が数軒ある程度で、四日町の浄土宗広隆寺(一三九二年開創)と一日市町の曹洞宗瑞興寺(一三九八年開創)がある寒村であったようです。ここに花巻城の築城とともに町が開かれることになり、周辺の村々から住民が呼び集められました。花巻城下は「花巻三町」と総称され、文禄年間(一五九三~九六)に四日町が、慶長年間に川口町と一日市町が相次いで開かれました。四日町と一日市町では、北上川が花巻城北を蛇行して本丸下、二の丸をへて流れており、北上川の河川敷を整備して作ったと見られます。四日町は、南部氏の居城三戸との連絡を確保する狙いから、最初に開かれたと考えられます。
「花巻開町の恩人 北松斎公 四百年忌記念誌」 (平成二四年九月発行)より
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